夢主義社会トップへ 負けても生きられる社会   2006年05月30日  戻る

今の社会は、勝ち組・負け組という言葉が示す通り、ゲーム社会です。
ゲームに勝利した者のみが、高額の報酬を得ることができます。
ゲームは、マネーゲーム(商売)、スポーツゲーム等、何でも良いので、社会が認めるレベルの勝者になれば、高額の報酬を得ることができます。将来、TVゲームの勝者にも、高額の報酬を得られる日が来るのではと思います。

但し、負けた者は、生きられないという分けではありません。
今の日本社会では、憲法で、すべての国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有しています。
マネーゲーム(商売)に負けて(失敗して)多額の借金を抱えても、自己破産して、生活保護を受ければ、最低限の文化的な生活を送ることができます。そしてまた、ゲームに参加することができます。
ホリエモンも以前、「失敗しても命まで取られる分けではない。チャレンジしなければ損だ!」と言っていました。ホリエモンの場合は、ゲームに負けたというよりも、ゲームとは関係の無い東京地検特捜部という「いじめっ子」が突然やって来て、一方的に踏み潰された感じです。

「敗者も生活でき、復活するチャンスもある」という大変素晴らしい社会という感じもしますが、ちょっと考えると、今の社会は「ゲームに明け暮れる社会」ということにもなります。
ゲームは遊びです。その行為のほとんどは、人類の未来とは無関係です。今の社会は豊かな社会ですので、人々がマネーゲーム(商売)に明け暮れていても、何とか成り立つ社会なのです。
しかし、これでは、人類の未来を切り開くことはできません。人々は、人類の未来に向かって歩む努力を忘れて、その日その日を、マネーゲーム(商売)に明け暮れています。

勝ち負けに拘る人間が増えた現代ですが、人類の未来という観点から考えると、誰かが勝っても負けても、そのことは、人類の未来とは無関係です。
本来人間は、お互いに協力し合って、人類の未来に向かって歩むべきです。
価値ある行為とは、人類の未来に向かって歩む行為であり、そういう行為に対してのみ、報酬が支払われるべきです。勝ち負けではなく、人類の未来に向かって歩む努力に対して、報酬が支払われるべきです。
国民一人一人の意識が、勝ち負けよりも、人類の未来に向かって歩む行為を重視するようになれば、格差はなくなり、まじめにコツコツ努力する人々が報われる社会になると思います。

夢主義社会
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