夢主義社会トップへ いじめと自殺は、分けて考えるべき(脳の構造を考慮)   2006年11月21日  戻る

自殺するか否かは、「いじめ」の度合いとは関係無いのでは?という気がします。

自殺というのは、脳の中に「自殺のイメージ」が記憶されており、ちょっとしたきっかけで、その「自殺のイメージ」にスイッチが入り、「自殺のイメージ」に従って行動してしまうのだと思います。

従って、同じ「いじめ」を受けても、脳の中に「自殺のイメージ」を記憶していない、または、実行可能なレベルで記憶していない場合は、自殺に至らないのだと思います。

最近は、子供の自殺だけでなく、子供による殺人も増えています。
これは、テレビのドラマや映画等で、自殺や殺人のシーンを目にすることが多くなったことに起因していると思います。
子供たちにとって、自殺や殺人のシーンは、とても刺激的であり、強烈に脳に記憶されます。
それが、ちょっとしたきっかけで、その脳の中の「自殺・殺人のイメージ」にスイッチが入り、「自殺・殺人のイメージ」に従って行動してしまうのだと思います。

このように考えると、「いじめによる自殺」が起きたときに、「自殺に至るようないじめがあったか否か」というような調査は無意味であることになります。
ほんのちょっとした「いじめ」でも、自殺に至る可能性があるということです。

逆に、酷い「いじめ」があっても自殺しない場合があります。
※これが普通。

学校側は、自殺が起きてから、ようやく具体的な検討を始めるようです。
学校側は、自殺に至るようないじめがあったか否かを調査するようです。
学校側は、自殺に至らないようないじめは、いじめではないと考えているようです。
でも、いじめは、常に存在し、子供たちを苦しめています。
大切なことは、自殺とは関係なく、全てのいじめを調査して、無くする事です。

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