夢主義社会トップへ 愛されたいは欲望※愛ではない!   2008年02月26日  戻る

愛は、自己にとって価値あるものを、大切にし未来に残したい気持ち(子孫保存の本能)です。
無償の愛、とか、自己犠牲の愛、のように、自分よりも相手を大切に考えるのが愛です。

このように考えると、
「愛されたい」は、愛を求めています。
つまり、自分を大切にしてほしいと考えているので、愛ではありません。

「愛したい」は、自分よりも相手を大切にしたいと考えているので、愛と言えそうですが、
であるならば、愛すれば良いと思います。
それが、何故、「したい」という希望・要望的な表現になっているのでしょうか?
その裏には、愛されたいという欲望がありそうです。

現代社会では、言葉の意味が歪められ、ズル賢い人間たちに都合よく意味付けされています。
「愛されたいという欲望も愛である」と定義してしまうと、欲望社会になってしまいます。

<補足>
人に限らず、全ての生命は、子孫保存の本能を持っています。
子孫保存の本能を持たない生命は、途絶えてしまいます。
まず、自分自身の子孫を残したいと考えるならば、一番大切なのは自分自身の存在ということになります。
(自己中心的な愛)

しかし、自分の子孫を残すには、自分や自分の身近な人を大切にするだけでなく、周りの環境も良くしなければなりません。
自己愛 → 子供への愛 → 地域愛 → 母国愛 → 人類愛 → 自然愛 → 地球愛

単に生殖活動を行っても、そこに子供を大切に思う愛がなければ、子供は育ちません。
つまり、「生殖活動=愛」ではないということです。
でも、直接の親に愛が無くても、社会に愛があれば、子供は育ちます。

愛とは何か?夢とは何か?
人類が真に目指すべき社会構造はどうあるべきか?
それを考えるのが「夢主義社会」です。