夢主義社会トップへ 光市母子殺害事件:たいへん正当な判決   2008年04月22日  戻る

光市母子殺害事件の差し戻し控訴審で、死刑の判決が出たそうです。
たいへん正当な判決だと思います。

本来は、死刑ではなく、一生涯、首輪を付けて、強制労働させるような刑が良かったと思います。
残念ながら、今の刑法では、このような刑はありません。
現状では、無期懲役の刑を受けても、刑務所で、反省のポーズを見せれば、一般社会に復帰できるそうです。
そして、当然のことながら、犯罪者が出所後、再度、犯罪を犯すことが多いようです。

そもそも、人の心なんてものは、曖昧であり、善と悪が常に入り混じっています。
悪いと分かっていながら、犯罪を犯す人は多いです。
その人の頭の中で、最終的に悪が優先したために、犯罪を犯した分けです。
そして、心は、脳の中で行われている物理的な化学反応に過ぎません。
つまり、犯罪者は、犯罪を犯す頭(脳)を持った機械(歯車)と考えた方が適切だと思います。

「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉がありますが、確かに人を憎んでも仕方がありません。
人は単なる機械(歯車)に過ぎないのですから、機械を憎んでも仕方がありません。
但し、犯罪を犯す機械(歯車)を放置することはできません。
その犯罪を犯す機械(歯車)を壊すか、犯罪を犯さないような場所で利用するか、ということになります。

ところが、今の刑法では、無期懲役になった犯罪者でさえ、刑務所で反省のポーズを見せれば、一般社会に復帰できるそうです。
つまり、犯罪を犯す機械(歯車)を、一般社会に放置することになります。
そして、当然のことながら、犯罪者が出所後、再度、犯罪を犯すことが多いようです。

これは、今の刑法そのものに問題があるようです。

<追伸>
「夢主義社会」では、刑務所はありません。
代わりに、一般人と区別するために、犯罪者に首輪を付けます。
一般人に近付いたり、不当な行動を行った場合、首輪で電気ショックを与えます。
首輪から発する信号で、行動範囲を制限します。

犯罪の償いは、その犯罪の重さに限らず、その人の一生を掛けて償うのが基本です。
刑は、犯罪者の矯正が目的ではなく、犯罪の償いを主目的とします。
犯罪の償いは、人類の未来のために、自分を犠牲にして働くことです。