裁判員制度は、行政の無駄!刑法の見直しが先決 2008年11月30日
裁判員制度は、一般人の目を、裁判にも向けさせて、司法の大切さを理解してもらおうという、司法に携わる人たちの策略なのでしょう。 裁判に関心の無い素人の一般人を連れて来て、手取り足取り裁判を体験させても、それが、公正な裁判につながるとは思えません。 単に、司法の大切さを理解してもらい、司法に携わる人たちの地位・名誉を確保しようとしているように思えます。 そして、裁判員制度の導入に伴い、様々な名目で、税金が費やされます。 そのお金を目当てに、様々な業者が、集まってきます。 このような新たな制度の導入にかかる費用は、価格を比較することができないので、業者の言い値が通ってしまうようです。 業者は、ボロ儲けです。 利益の一部は、司法に携わる人たちの懐に入るのでしょうか?※癒着 現代社会では、地位・名誉に対して、お金が回ってくるようです。 裁判は、法律に基いて行われますが、 そもそも、今の刑法は、ベストなのでしょうか? 刑法の見直しの方が、先決ではないでしょうか? 例えば、死刑を廃止して、臓器提供の刑を追加します。 また、犯行時の精神状態や、犯行後の反省のポーズで、刑の重さが変わってくるのも問題です。 飲酒による精神異常は、刑が重くなり、それ以外の精神異常の場合、刑が軽くなるのは不思議です。 さらに、悪徳弁護士の存在も問題です。 既存の裁判制度の見直しの方が先決です。 ■「夢主義社会」の裁判: ★インターネット上で裁判 「夢主義社会」では、裁判はインターネット上で行われます。 原告、被告、弁護士、裁判官のそれぞれの意見を、インターネット上に公開します。 インターネット上の掲示板で、やり取りしながら裁判が進められます。 そして、一般人も、その裁判の内容に対して、意見を書き込むことができます。 被告人が、事実を隠ぺいしたり、他の人に危害を加えたりする恐れが無い限りは、拘束されることなく、自宅でインターネットを利用して裁判に臨みます。 また、裁判に支障を及ぼさない限り、労働も継続することができます。 労働は人類の未来のためです。 例え、何だかの罪を犯したとしても、できるだけ労働は継続するべきです。 労働の継続が、犯罪の継続にならない限りは、労働を継続できます。 最終的に罰を受ける必要がありますが、軽犯罪での罰は、衣食住のポイントの削減のみで拘束はされません。 中レベルの犯罪の罰でも、自由時間が削減されるだけです。 現状の裁判では、事件に関係する人が全員、裁判所に出向いて、長々とした話を聞く必要があり、時間の無駄です。 また、人間を、拘置所に長期間、拘留するのも、もったいないことです。 |