夢主義社会トップへ 検察審査会の意義:裁判は国民の権利   2010年10月14日  戻る

民主党の小沢氏は、検察審査会の有り方を問題視しているようです。
「プロの検察が調べて問題無しと言っているのだから、
素人の検察審査会は引っ込んでろ!」
と言いたいようです。
当に、悪の権化らしい発想です。

検察審査会は、民主党の小沢氏のようなズル賢い悪人を、公の場に出すために存在します。

検察審査会は、裁判員制度と異なり、善・悪の判決を下す訳ではありません。
裁判という公の場に出すだけです。
あくまでも、判決は、裁判官が行ないます。

そもそも、裁判に訴える行為は、だれでも行なえます。国民の権利
それを、今までは、検察が独断で判断して止めていたのです。
その結果、不透明な検察の取調べが重視され、暴走してしまいました。冤罪
本来は、どんどん裁判に持ち込み、公開の場で判断するのが正しいです。

検察が信用できない現状では、検察の取調べは無意味です。
今後は、検察の判断とは関係なく、裁判に持ち込まれるケースが増えるでしょう。
それこそが、正しい司法の姿です。

<補足>
検察は、法律に従うだけです。
検察は、法律の不備をチェックできません。

でも、国民は、法律の不備をチェックして、法律を変えるように働き掛ける事ができます。
このために、裁判では、公開の原則があります。

仮に、裁判で、有罪にできなくても、
国民は、議員を選挙で裁く事ができます。
また、国民感情に、時効はありません。
歴史の中で裁く事も可能です。

国会議員には、説明責任があります。
民主党の小沢氏は、真実を細かく説明すべきです。
検察への説明よりも、誠心誠意、細かく説明すべきです。

「何の不正な問題も無いという結論を得るように全力を尽くす」のではなく、
事実を隠さず、正直に臨む事に全力を尽くすべきです。

我々国民も、判決よりも、
小沢氏が、裁判に正直に臨んでいるか否かという姿勢をチェックすべきです。

夢主義社会」は、300年後の理想社会を目指します。