不安・不信・不満の声が風評被害を拡大 2011年04月08日
低レベル放射能汚染水の放水を問題視しているようです。 でも、本来、問題なのは、高濃度汚染水が漏れている事です。 今回の事故での被害は、全て、東京電力や国が補償するのは当然です。 改めて問題視したり、補償を要求する必要はありません。 逆に、騒げば騒ぐほど、風評被害が拡大します。 「不安だ!心配だ!迷惑だ!」と感情ばかりを爆発させずに、冷静に判断すべきです。 現状では、原発事故の収束を待つ以外にありません。 収束時期の見通しや、事故拡大で想定される事態を知りたいという声があるようです。 でも、原発事故の最新の状況は、テレビ等で常に公開されています。 この状況を見れば、収束時期の見通しが立たない事は、だれが見ても明白でしょう。 また、事故が拡大しないように、多くの技術者が、放射線の危険の中で頑張っている最中です。 このような状況で、事故拡大を想定する事は、失礼極まりない心無い言葉です。 技術者たちが居直ってしまい、やる気をなくしたら、原発事故は永遠に収束しません。 「不安だ!心配だ!迷惑だ!」という感情が、風評被害を拡大します。 健康への被害についても、安全か危険か明確な判断を望む声があるようです。 でも、100%安全とか、100%危険という状況は有り得ません。 現状の放射線量では、直ちに健康に影響することはありません。 でも、できるだけ放射線は、浴びない方が良いです。 このような状況では、自主避難がベストな対応と言えます。 政府に、一律の安全基準の設定を求める声がありますが、 政府が、一律の線引きをする事は、規制強化です。 規制強化が、民間の自由な活動を束縛しています。 専門家の判断を求める声がありますが、専門家は、オタクです。 専門家(オタク)は、自分たちの世界観を持っています。 オタクたちの言葉は、現実離れした内容が多く、 真に受けると、風評被害等の混乱を招きます。 一般人は、「安全か危険か」という結論を知りたがります。 「安全か危険か」とは、「1または0」と言ったデジタルな発想です。 でも、現実社会はアナログです。 100%安全、100%危険というような結論は有り得ません。 そこで、専門家(オタク)たちは、自分勝手に線引きをして、 安全・危険というデジタルに置き換えているのです。 自分勝手に線引きをした世界観を、オタクの世界と言います。 現在の様々な規制は、専門家(オタク)の言葉に流された結果です。 我々一般人は、専門家(オタク)の言葉に流されず、 現実社会をしっかり見て、しっかり考え、自己責任で判断すべきです。 <補足> テレビでは、専門家と称される人たちが登場して、もっともらしい口調で話をしています。 行政においても、専門家と称される人たちが集められ、検討することが多いようです。 確かに、専門家は、その分野においては、豊富な知識を持っているのでしょう。 でも、物事を正しく判断して、正しい方向性を見出すには、広い視野で考える必要があります。 偏った知識を持った専門家では、偏った判断しかできないのでは?と感じます。 専門家の豊富な知識は、コンピュータに記録された情報と同じです。 この情報を、如何に社会に役立てるかが大切です。 情報を社会に役立てる事ができるのは、理性を持った人間だけです。 どんなに多くの情報を記録したコンピュータでも、そのコンピュータ自身に期待しても何も得られないでしょう。 同様に、豊富な知識だけで、理性を伴わない専門家に期待しても何も得られません。 現代社会では、専門家という肩書きに期待した結果、間違った判断で、間違った方向に進んでいるように感じます。 日本の子供の応用力の低下が問題になっています。 学校での試験に限らず、資格試験でも、知識の詰め込みが重視されます。 知識の詰め込みを重視した結果、じっくり考える事ができなくなり、これが、応用力の低下を招いています。 豊富な知識だけで、応用力に欠ける人間が、上の地位を得て、物事の方向性を決めている現代社会は、正しい方向に向かうはずがありません。 「夢主義社会」は、物事の本質を踏まえた上で、歩むべき道を考えます。 |