夢主義社会トップへ 癒しは何故必要か?空っぽの心   2011年10月18日  戻る

本来、人が生きる目的は、人類の未来のためです。
人類の未来のために役に立っていると実感できれば、心が満たされます。
心が満たされていれば、癒しは不要です。

逆に、人類の未来のために役に立っていると実感できない人たちは、常に、心に隙間があります。
例え、どんなに多くのお金を得ても、その過程で、人類の未来のために役に立っていると実感できなければ、心に隙間ができます。
その心の隙間(空っぽの心)を埋めるために、癒しを求めるのです。

空っぽの心(心の隙間)に、夢を詰め込む事が可能です。
そうすれば、人類の未来のために役立つ事ができます。
でも、豊かな社会では、欲望を満たすための商品やサービスが満ち溢れています。
このため、空っぽの心(心の隙間)に、欲望を詰め込む人が多いようです。

「お金や権力がほしい」、「楽しい思いをしたい」、というのは、人類の未来と関係のない欲望です。
欲望は、自分のためです。
そして、その自分は何れ年老いて死にます。

欲望は、自分が生きている間に実現しなければ価値がありません。
自分の欲望を実現するために、手段を選ばず、周りの人を犠牲にし、
さらには、人類の未来をも犠牲にして、達成しようとします。
その人が死んだ後、残るのは、犠牲になった人たちと、犠牲になった人類の未来です。

未来につながらない欲望を、どんなに追い求めても、真に心が満たされる事はありません。
このため、癒しが必要になります。

偽りの夢=欲望
「夢は大切」と言う人は多いのですが、夢と欲望を勘違いしている人が多いように思えます。
自己中心的な、小さな愛ではなく、理性を加えた、大きな愛で、より良い人類の未来を願う心「社会貢献」が、夢です。

人類の夢は、「より良い社会を、未来に残すこと」であるはずです。
個人の夢も、根底は同じはずです。

理性を持たない人間にとって、「社会貢献」という言葉は、到底理解できないものです。
従って、理性を持たない人間にとっての目標は、欲望でしかありません。

理性を持たない人間が、時たま使う「社会貢献」や「夢」という言葉は、その真の意味を理解している分けではなく、その言葉を使うことで、「自分の行動を正当化できる」ということを知っているに過ぎません。

夢主義社会」は、300年後の理想社会を目指します。