夢主義社会トップへ 国会議員は子供の使い走り   2006年04月22日  戻る

国会議員は、国民の意見を行政に反映させるのが仕事です。
現状では、国民は、国会議員が自分自身で、国民のためを考えて、行動してくれると考えているようです。
でも、実際には、国会議員は、国民が細かく指導しないと、自分の私利私欲のために、好き勝手し放題です。
親が子供に買い物を頼む際に、子供に細かく買い物の内容を説明しておかないと、子供は自分の好きなお菓子や玩具を買ってしまうでしょう。つまり、子供の使い走りと同じということです。

今の社会の問題は、国民が選挙の際に「あの人を国会議員に選べば、何とかしてくれるであろ」という安易な発想で人を選び、その後、国会議員の自由意志に任せてしまっていることに起因しています。
国会議員は子供の使い走りです。大切なことは、だれを選ぶかではなく、国民が如何に、国会議員に対して細かく指導するかです。それを怠慢したがために、結局、後で、自分自身で、再度、買い物せざるを得なくなります。

現状では、国民は、国会議員は偉い人と考え、先生と呼び、敬っています。
確かに、財界の大物は、この点を充分に理解しており、うまく国会議員を利用して、利を得ています。
この状況は、江戸時代の商売人と御役人の癒着に似ています。

国会議員を選ぶ際には、国民の意見に充分に耳を傾ける姿勢があるか、そして、その国民の意見の中から、何を行政に反映させようと考えているのか、国民は、しっかり確認する必要があります。

しかしながら、現実問題として、国民の意見は、千差万別です。正しく選ばれた国会議員と言えど、全ての国民の意見を反映することは不可能です。であれば、国会議員は要らない。自分たちでやる。「民間でできることは民間で」ということになり、小泉内閣が進めてきた「官から民へ」という考えに至ります。国は当てにならない。国に任せて置けない。だから、国が管理する機関をできるだけ民間に移して、市場原理の中で施行しようということです。

<追伸>
最近の、民主党の小沢代表のように、「変わります」だけでは、何を考えているのか分かりません。
変わるということは、今までの行為が間違っていたと認めることです。まずは、その間違いを謝罪し、議員辞職して、その後、再度自分の考えを国民に示して、国民の判断を伺うべきであると思います。