夢主義社会トップへ 共生・寄生人間   2007年09月27日  戻る

福田総理は「共生」と言っていましたが、ほんとうは「寄生」ではないでしょうか?
人は一人では生きられません。
お互いに助け合って生きています。これが「共生」です。

しかし、豊かな社会では、自分は頑張らず、他人に依存して生きる人間が増えてきます。
「寄生人間」です。
心ある少数の人間が、頑張って物を作り、他の人は、その物を右から左へ動かして、利を得ます。
真に価値のある労働を行ったのは、実際に物を作った人間のみであり、他の人たちは、その価値に依存して生きています。

ニートは、明らかに「寄生人間」です。
他にも、「俺は偉いんだ!」と豪語している政治家や財界の大物も当然「寄生人間」です。
「労働」を伴わずに、高い報酬をもらっている社長を含めた幹部社員、セールスマンは全て「寄生人間」です。

そもそも、ニートは、今の社会の「寄生人間」の象徴と言えないでしょうか。通常の寄生人間(社長を含めた幹部社員、セールスマン)は、「俺は偉いんだ!」「俺は頑張っている」と舌先三寸で主張しています。しかし、この舌先三寸の部分を取り除いて、真の価値ある労働を行っているのかという観点から見ると、ニートと何も変わりません。つまり、ニートは、舌先三寸で働いている振りをしている人たちの純粋な代表であり、生まれるべくして生まれた人間と言えます。
ニートの増加が問題になっていますが、「労働」を伴わずに、高い報酬をもらっている社長を含めた幹部社員、セールスマンの存在の方が問題のように思えます。

豊かな社会では、物が溢れていますので、このような人間の存在が許されます。
人々は、豊かな社会の中で、物を作ることの大切さを忘れ、破滅への道を歩んでいます。