夢主義社会トップへ 仕事と労働は異なる   2007年11月23日  戻る

「仕事=労働」と考えがちですが、どうも、違うようです。
「仕事」とは、だれかに仕えること。
「労働」とは、労して働くこと。

「仕事」の場合、仕えるべき相手(使用者)が存在し、その使用者が賃金を払うと約束してくれれば、成り立ちます。
つまり、「労働」が伴わなくても良いわけです。在籍しているだけで、賃金をもらっている人も存在します。
「労働」は、ボランティア等も含めて、労して働くことであり、使用者が存在しない場合もあり、必ずしも賃金に結びつくとは限りません。

「仕事」の場合、使用者との人間関係によって賃金が決まってしまいます。
会社の中では、上司の御機嫌を取りながら、上司の都合良く振舞うことが大切になります。
そうすることにより、より上の地位に就くことができます。
学力や創造力よりも、要領よく振舞うことが重視されます。
このため、現在のような舌先三寸の社会になってしまいました。
在籍しているだけで、ゴルフの話をしたり、宴会の話をしたりしているだけで、賃金をもらっている人がいます。
逆に、要領が悪いと、安月給で、夜遅くまで、残業させられる人もいます。

「成果主義」という言葉がありますが、「仕事」の成果とは、「如何に上司に仕えたか」ということになります。
「仕事」の能力とは、上司に仕える能力ということになります。
良い商品やサービスを顧客に提供する能力ではありません。
このため、一流会社でも(一流会社だからこそ)、様々な不祥事を引き起こすことになります。

「仕事に就く」とは、このような人間関係の中に加わることです。
従って、何かの人間関係がないと、加わることは難しいようです。
新卒の場合、学校と企業の関係で就職できるということです。
このため、そのチャンスを失ったニートやフリーターが、就職するのは至難の業ということになります。

最近、ニート、フリーターが問題になっていますが、私から見ると、「労働」を伴わずに、高い報酬をもらっている人(社長を含めた幹部社員等)の存在の方が、社会を腐らせているように思えます。
会社の中では、「労働」を伴わずに、高い報酬をもらっている人(社長を含めた幹部社員等)の存在により、「労働」を行った人の報酬が削減されることになります。そして、さらに、会社として費用が足りないため、新たな雇用も行えません。これが、ニート、フリーターの増加につながります。

現在の日本は、民主主義で、人は皆、平等のはずですが、何故か、会社組織(特に古い会社)は、階級社会で、社長は「殿様」って感じです。(封権社会?)
上の地位で、ふんぞり返っている社長を含めた幹部社員も問題ですが、そのような人間の存在を許している、日本人一人一人の物の見方・考え方にも問題があると思います。

<昔々のお話>
家臣:「殿、年貢を集めてきました。談合、詐欺、脅迫、窃盗、殺人、等いろいろ頑張って見ました。」
殿様:「どんな金でも、金は金じゃ! 余は苦しゅうないぞ!」
家臣:「ははっ、有り難きお言葉」
殿様:「じゃが、あくまでも、自己責任じゃからの! 余は関知せぬぞ!」
家臣:「はっ、承知仕りております」