夢主義社会トップへ 人は報酬が無くても頑張れる   2007年12月31日  戻る

「特許を得るような発明に対して、発明者に適正な報酬が支払われていない」
ということで裁判を起こすケースが増えています。

逆に見ると、発明の当時、発明者は対価の事は考えずに頑張ったということです。
今の社会では、頑張ってもらうために高い報酬を支払っています。
でも実は、真に価値ある労働であれば、報酬とは関係なく頑張れるということではないでしょうか。

発明の当時は、対価の事は考えずに頑張ったが、
後になって落ち着いて考えると、納得できないということで、告訴に至ったのでしょう。

今の社会で技術者は、経営者にとって、金儲けの道具に過ぎません。
技術者は、研究・開発で頭が一杯で、お金の事を考えている余裕がありません。
このため、後になって、裁判に訴えるしかないのです。

この社会状況を、子供たちは十分に理解しています。
技術者になるよりも、営業マンになり経営者を目指した方が得だと認識しています。
これが、子供たちの理数系応用力の低下につながっています。

本来、人間は、人の役に立つ労働であれば、お金という報酬が無くても、自ら進んで働けます。
これは、災害の時に、多くのボランティアが集まることを見ると明白です。
にも関わらず、給与取得者が成果主義で多くの報酬を得たいと思うのは、その仕事が「人の役に立つ労働」ではなく、お金のため以外の目的では行いたくない「無意味な仕事」だと感じているからではないでしょうか?