夢主義社会トップへ 精神鑑定は不要   2008年04月28日  戻る

渋谷での夫殺害事件での裁判で、
医師の精神鑑定の結果、「被告の精神状態は、責任能力無し」でした。
にも関わらず、裁判官は、この精神鑑定結果を考慮せず、妻に懲役15年の判決を下しました。

私は、以前から、裁判での精神鑑定は不要だと思っていましたが、
最近、殺人事件での裁判において、被告の精神状態が重視され、
判決が先延ばしになることが多い中で、なんとも大胆な判決です。

そもそも、殺人を行うこと事態、異常であり、すでに精神異常だと思います。
それを、「医学上の精神病の場合、刑が軽減される」というのは、今の刑法に問題があるように思えます。
さらに、本来どうあるべきかよりも、とにかく少しでも被告の刑を軽減させようとする弁護士にも問題があるように思えます。
大切なことは、「社会に害を与える人間は、社会に復帰させない」ことだと思います。
社会に復帰させなければ、死刑にする必要はないと思います。
一般社会と隔絶された場所で、強制労働させることが、社会のためだと思います。

しかし、今の刑法では、無期懲役になった犯罪者でさえ、刑務所で反省のポーズを見せれば、一般社会に復帰できるそうです。
これは、今の法律そのものに問題があるようです。

人間とは何か、脳の役割、本能・理性とは何か、等を考え直した方が良さそうです。
少なくとも、人間は、神様が作った分けではありません。
基本は、他の犬や猫等の動物と変わりません。
そもそも、人の心なんてものは、曖昧であり、善と悪が常に入り混じっています。
悪いと分かっていながら、犯罪を犯す人は多いです。
その人の頭の中で、最終的に悪が優先したために、犯罪を犯した分けです。
そして、心は、脳の中で行われている物理的な化学反応に過ぎません。
心・精神・感情といった神憑り的な言葉で表現すると、本質を見失ってしまうように思えます。
つまり、犯罪者は、犯罪を犯す頭(脳)を持った機械(歯車)と考えた方が適切だと思います。

「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉がありますが、確かに人を憎んでも仕方がありません。
人は単なる機械(歯車)に過ぎないのですから、機械を憎んでも仕方がありません。
但し、犯罪を犯す機械(歯車)を放置することはできません。
その犯罪を犯す機械(歯車)を壊すか、犯罪を犯さないような場所で利用するか、ということになります。