夢主義社会トップへ 人間関係重視の教育が悪の権化   2008年06月28日  戻る

人間関係が大切と言われますが、その人間関係の結果、談合・癒着・偽装といった様々な不正行為が行われているのが今の社会です。
コミュニケーション能力とは、このような人間関係を利用して、要領良く利を得るための能力です。

人間関係とは、小さな単位であり、そこに顔を出している人のみが、利益を得られるような言動・行動が求められます。逆に、その人間関係に関与していない人が、損をすることになります。
公共工事等では、談合・癒着により、工事関係者が国民の税金を要領良く懐に入れ、利益を得ます。そして、その商談に直接関与していなかった国民が税金を無駄使いされ、損をしています。

公共工事に限らず、様々なところで、一般人が損失を被っていることが多いようです。
たとえば、以前、東証システム障害で、一般の投資家は、たいへん迷惑を被りました。この責任として、東証の社長は交代しましたが、肝心のシステム開発元の富士通は、責任を取って賠償したという話を聞きません。
そもそも、この東証システム障害は、東証と富士通が、その人間関係で、東証と富士通の関係者が利益を得られるように行動してきた結果、システム開発に直接関与していなかった一般投資家に迷惑を掛けた。つまり、一般投資家が損をしたということです。

つまり、人間関係を大切にするということは、その人間関係の中だけの、狭い視野で物事を考えることであり、「本来どうあるべきなのか」という本筋から外れることになります。
大切なことは、顔が見える身近な人間関係ではなく、顔も知らない・名前も知らない・会ったこともない、というような一般社会に、如何に貢献するかです。つまり、社会貢献です。

個々の企業の価値を考えるならば、その企業が如何に一般社会に貢献したかが、真にその企業の価値と考えられます。
そして、一般社会とは、地域、都道府県、国という単位ではなく、世界規模・地球規模での一般社会を想定すべきです。今の社会では、大企業に限らず、様々な企業が海外に進出しています。すでに、国という単位は、従来の都道府県と同じレベルであり、単なる一つの管理単位に過ぎません。個々の人間の行動を束縛できる枠ではありません。
このような大きな社会を対象にした活動では、相手の顔色を伺って自分の取るべき行動を決めるような行為(人間関係重視の行動)は不当な行為であり、詐欺とも思えます。「本来どうあるべきなのか」という理念が重要です。

<補足>
学校では、人間関係重視の教育が行われています。
「本来どうあるべきか」ではなく、「人間関係に流されなさい」と教育している訳です。
この教育方針を決めたのは、上の地位の人たちです。
上の地位の人たちは、人間関係を利用して、その地位を得ました。

1.人間関係を利用して地位を得た大人。
2.その地位により人間関係重視の教育方針を決める。
3.学校では、人間関係重視の教育が行われる。
4.ここで育った子供は、人間関係重視の大人になる。
5.この人間関係重視の大人が、地位を得て、人間関係重視の教育方針を継続します。

人間関係重視社会では、応用力を必要としません。
応用力とは、「本来どうあるべきか」を考える能力です。
「本来どうあるべきか」で考えると、舌先三寸でその地位を得た人間の存在に疑問を感じるでしょう。
上に地位の人間にとって、「本来どうあるべきか」を考える人間は、大きな脅威です。
このために、上の地位の人間は、応用力を持った人間を、社会に適応できないとして排除します。
つまり、人間関係重視の教育は、善を排除し、純粋で且つ強固な悪の社会を目指しています。

<追伸>
本来大切なのは、「人間関係」ではなく「人間」です。
関係を重視したために、関係をうまく保てない人間は、自殺したり無差別殺人に至ります。

つまり、現代社会の悪の権化・巣窟は、人間関係重視の教育ということです。

最近の、談合・癒着・偽装といった様々な不正行為や、自殺・無差別殺人に対して、
「ヤダー、ウソー、信じられなーい」と言う人もいますが、
私には、起こるべくして起きた事件に思えます。