夢主義社会トップへ 謝罪よりも賠償と処罰   2009年06月17日  戻る

足利事件で冤罪の可能性が高いとして釈放された方が、
栃木県警が直接謝罪しに来たので、「許そうと思う」との事です。
でも、本来、過ち(罪)は許されるべきものではありません。

最近、企業や役所において、不祥事で、責任者が謝るケースが多いようです。
「謝って済むから警察はいらない」という感じで、
「とりあえず謝っておこう」

謝って済まない場合は、辞任
※辞任だけで、今まで支給されていた報酬を返却したという話を聞きません。
※責任ある立場なのですから、それまでに受けていた報酬を全額返却するのが、筋道ではないでしょうか。
※最終的には 自己破産してほしいと思います。

刑事責任が問われるケースは、まれなようです。
※刑事責任が問われても、自己破産する程、罰金を取られることはないようです。

今回は、その警察官や裁判官自身の責任が問われています。
警察官や裁判官は、人を正しく裁く能力を失っているのかもしれません。

本来、謝るという行為は、本の表紙のようなものだと思います。
「謝ったから、それで終わり」では、中身の無い本のようなものです。
謝って、その後、「具体的にどのように行動するのか」が大切です。

ところが、今の日本では、
☆責任者を出せ!謝れ!→謝ったから許してやろう
という感じで、謝罪する方も、謝罪を求める方も、中身がないように思えます。

本来、罪は、大きな罪、小さな罪に関わらず、一生掛けて償うべきものです。
許されるべきものではありません。
その人の今後の人生において、心に刻み込み、常に謝罪の気持ちを忘れずに生きて行くべきです。
その積み重ねが、大切です。
そんな昔のことは忘れた、昔謝罪した、昔賠償した、だから終わったことだ。
という発想では、同じ過ちを繰り返すことになります。

夢主義社会」では、大きな罪、小さな罪に関わらず、一生掛けて償って頂く制度を用意しています。