本来、人が生きる目的は、人類の未来のためです。 人類の未来のために役に立っていると実感できれば、心が満たされます。 心が満たされていれば、癒しは不要です。 逆に、人類の未来のために役に立っていると実感できない人たちは、常に、心に隙間があります。 例え、どんなに多くのお金を得ても、その過程で、人類の未来のために役に立っていると実感できなければ、心に隙間ができます。 その心の隙間(空っぽの心)を埋めるために、癒しを求めるのです。 空っぽの心(心の隙間)に、夢を詰め込む事が可能です。 そうすれば、人類の未来のために役立つ事ができます。 でも、豊かな社会では、欲望を満たすための商品やサービスが満ち溢れています。 このため、空っぽの心(心の隙間)に、欲望を詰め込む人が多いようです。 「お金や権力がほしい」、「楽しい思いをしたい」、というのは、人類の未来と関係のない欲望です。 欲望は、自分のためです。 そして、その自分は何れ年老いて死にます。 欲望は、自分が生きている間に実現しなければ価値がありません。 自分の欲望を実現するために、手段を選ばず、周りの人を犠牲にし、 さらには、人類の未来をも犠牲にして、達成しようとします。 その人が死んだ後、残るのは、犠牲になった人たちと、犠牲になった人類の未来です。 未来につながらない欲望を、どんなに追い求めても、真に心が満たされる事はありません。 このため、癒しが必要になります。 ■偽りの夢=欲望 「夢は大切」と言う人は多いのですが、夢と欲望を勘違いしている人が多いように思えます。 自己中心的な、小さな愛ではなく、理性を加えた、大きな愛で、より良い人類の未来を願う心「社会貢献」が、夢です。 人類の夢は、「より良い社会を、未来に残すこと」であるはずです。 個人の夢も、根底は同じはずです。 理性を持たない人間にとって、「社会貢献」という言葉は、到底理解できないものです。 従って、理性を持たない人間にとっての目標は、欲望でしかありません。 理性を持たない人間が、時たま使う「社会貢献」や「夢」という言葉は、その真の意味を理解している分けではなく、その言葉を使うことで、「自分の行動を正当化できる」ということを知っているに過ぎません。 「夢主義社会」は、300年後の理想社会を目指します。 |